鬼才の町・バルセロナ(3)

私は世界どこでも、伝統的な家屋が残っている、旧市街を歩くのが好きだ。

日本では京都の祇園や社家町を歩くと、ほっとする。

スペインのバルセロナにも、一番南の港に近い地域に、迷路のような路地を持った旧市街がある。

ここには、新大陸アメリカを発見したコロンブスが、スペインのイザベル女王に謁見した「王の広場」や、14世紀に建設が始まったサンタマリア・ダル・マル聖堂などが残っており、中世以来、貿易で栄えた港町バルセロナの栄華を偲ぶことができる。

 旧市街の一角に、中世に建てられた貴族の館がある。

ゴシック風の回廊を持つ、渋いベージュ色の建物は、過ぎ去った歳月の長さを感じさせる。

この建物には、スペインの巨匠パブロ・ピカソの美術館がある。

ピカソは、マラガ生まれだが、バルセロナで少年時代、青年時代を過ごし、パリとこの町の間を何度も行き来している。

大量の作品を遺したピカソの名作は、パリやニューヨークの美術館に収められているが、バルセロナでは彼が少年時代からいかに傑出していたかを知ることができる。

 ピカソが15歳の時に描いた「初めての聖体拝受」という油絵を見ると、彼がこの時期に、すでに写実に基づく古典主義の技法をマスターしていたことがわかる。

彼は15歳で、バルセロナの高等美術学校の入学試験に難なく合格している。

さらに、少年時代、青年時代のおびただしい人物像のデッサンには、人物の性格まで見抜くような鋭い観察眼を、若きピカソが持っていたことが表われている。

最小限の筆致で、人物の性格を表現しているのはまさに神技である。

 彼は後にジョルジュ・ブラックらとともに、立体主義(キュービズム)という技法を開発し、急速に抽象画の世界に入っていくが、その背景にはピカソの並外れたデッサン力があったことを、バルセロナの展示は教えてくれる。

 バルセロナのピカソ美術館には、スペインの巨匠ベラスケスの傑作「ラス・メニーナス(侍女たち)」を、彼が換骨奪胎して抽象画に変えていったプロセスを示す部屋もある。

ベラスケスのオリジナルは、マドリードのプラド美術館に展示されており、スペイン古典絵画の代表作であり、ベラスケス自身も描かれていることで知られている。

30枚の連作を一つの部屋で見て伝わってくるのは、古典を現代のイメージに解体するピカソのエネルギーの強さである。

オリジナルの作品で侍女たちの足元に座っている、忠実そうな犬が、ピカソの作品では、まるで漫画に登場する犬のように、デフォルメされ、単純化されている。

伝統的な権威にはむかうスペイン人の反骨精神と生命力が、画面から今も激しく放射されている。

スペイン内乱でゲルニカ爆撃に抗議し、ナチスに支援されてスペインを支配した、フランコの独裁政権に反発して、スペインに戻らずパリを拠点としたピカソの反逆精神も、そこに脈々と生きているのを感じた。

(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

保険毎日新聞 2007年1月